泉州黄玉ねぎの末裔 貝塚極早生玉ねぎ。
今年は例年以上に少なく一瞬で終わりそうな様相です。
収穫をしながらいつも思うのは泉州黄玉ねぎの歴史は
まだ100年そこそこ。。。結構新しいんやなぁということ。
100年前、今の様にグローバルのグの字もない時代、
岸和田市の坂口平三郎氏という若い農業青年が当時
貿易が盛んで外国人がたくさんいた神戸へ出向き
玉ねぎの母球を分けてもらい栽培し始めたのが最初だそうです。
それはそれは珍しい光景が広がっていたことでしょう☆
今でも神戸にある異人館や外国人クラブなどがある場所は
別世界です。そんな場所に交通もまだ発達していない
明治時代に大阪泉州の岸和田から行っただけでもすごいです。
最初に日本の地に玉ねぎを植えただけでももちろんすごい事
ですが、その種を無償で周りに分け配ったところに人徳を
感じます。
泉州黄玉ねぎ発祥の地岸和田市はだんじり祭でも有名な
お隣の町です。
岸和田市の坂口平三郎氏が栽培を開始。種を採ることに
成功しその後 泉南郡田尻町や、泉佐野市、貝塚市などでも
栽培されるようになり泉州ブランドの一時代が生まれたそうです。
坂口平三郎氏に関する情報は書籍化などもされていますが
意外に知られていないのが現状です。
それもそうですよね^^玉ねぎの祖が誰かなんて考える事
無いですからね~^-^
坂口平三郎氏は37歳という若さでこの世を去りました。
まだまだこれからさぁ行くぞ!というときに生きるということが
叶わなかった事は悔しかったと思います。
自分と同じような年齢の時、時代を先取りし先駆者となった功労者の
意志は次世代の北野農園にも息づいています。
伝承野菜はその歴史も同時に感じながら収穫し食べられる
唯一無二の楽しみがあります。
儲けはでません。貝塚極早生玉ねぎに関するご意見はメールにて
なんなりと受付させていただきます。
自分の中の尊敬すべき偉大な生産者の意志を後世につなげることが
誇りです。
北野農園はこれからも貝塚極早生玉ねぎを作り続け、
泉州黄玉ねぎの祖 坂口平三郎氏の事を発信し続けます☆